ロヒンギャ問題とは?なぜ迫害?
ロヒンギャ
バングラデシュとの国境近く、ミャンマー西部・ラカイン州に住むイスラム教徒、ミャンマーの少数派の人々で、迫害を受けているといわれています。
その人数は、約110万人といわれることもあるが、正確な人数は不明です。
なぜ迫害を受けている?
ミャンマーでは仏教徒が90%といわれ、イスラム教徒は少数派です。加えて、肌の色、彫りの深い顔立ちなど、見た目も、違いが鮮明と言われています。また、ロヒンギャ語を使用していて、ミャンマー公用語のビルマ語を使用しないことも、支障になっているようです。
根本的には、長い歴史の中で生じた亀裂と鬱積された抑圧、アウン・サン・スー・チー体制後、期待に応えられていないこともあるようです。
対立の歴史 人身売買も?
15世紀前半から18世紀後半、多数派の仏教徒と少数のムスリムは、周辺国(ムスリムが主流)との貿易などの関係から、共存できていた時代もありました。
その後、国の滅亡や新たな統治に伴い、多くのムスリムが、他国へ移住、他国から流入していました。
そんな中、英国植民地時代には、仏教徒ビルマ人を支配するため、ムスリムを商人層として利用したり、また、第2次世界大戦中、日本は仏教徒側に、英国はムスリム側に付き、戦闘に利用しようとしました。それを端に、血で血を洗う宗教戦争の状態となり、この地での両教徒の対立が根深いものとなりました。
1982年、ミャンマー政府はロヒンギャをバングラデシュから不法に入国した外国人だとして国籍を剥奪し、土地を強制収用してしまいました。無国籍者となった住民たちは移動の自由も認められず、軍事政権による迫害から逃れようと、難民化が進みました。
2012年には、ロヒンギャ住民と仏教徒の住民の大規模な衝突が起き、およそ200人が死亡。
2015年、タイやマレーシアで、悪質な人身売買の被害にあったと見られるロヒンギャの遺体が数百体見つかり、世界に衝撃が走りました。(迫害から逃れる途中で、被害にあった)
2016年10月 ロヒンギャの武装集団が警察官を殺害したことを受けて、ミャンマーの治安部隊が掃討作戦を始めました。
国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、衛星写真を分析した結果、10月以降およそ1500のロヒンギャの建物が治安部隊によって破壊されたとみられています。
国連の人権高等弁務官は「民族浄化のように思える」と発言するなど、ミャンマー軍が主導する治安部隊が少数派のイスラム教徒ロヒンギャの人たちを迫害していると非難が強まっています。
国際的な人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は衛星写真などを分析した結果、ロヒンギャの人たちが居住する80余りの集落が焼かれたということが判明しています。焼かれた集落は政府の治安部隊が火を放ったと言われています。
2017年8月下旬、ロヒンギャの武装勢力が警察署などを襲撃したのをきっかけに治安部隊との間で戦闘となり、治安も急激に悪化しています。
国境を越えて隣国のバングラデシュに避難した難民は、40万人を超えたようです。
多くの人は簡易な木製の船で両国を隔てる川を越えて来ていて、船が転覆して犠牲となる人、受け入れ先がなく人身売買の餌食になる人、親などと離れ離れになる子ども(ユニセフ発表では1000人以上)など、心が痛む惨状が繰り広げられているようです。
この件では、世界から、ノーベル平和賞を受賞した、アウン・サン・スー・チー国家顧問にも、厳しい目が向けられています。
アナン元国連事務総長をトップとする諮問委員会の調査報告書は、キャンプ生活を強いられているロヒンギャ住民の隔離をやめ、元の場所に戻ることができるようにすること、国籍の復活と移動の自由、それに教育や医療を受ける権利を保障することなどをミャンマー政府に求めています。
たちはだかる問題
- 反イスラム感情が根強い国民の世論
- ロヒンギャに強硬な姿勢をとり続ける軍部。軍部の影響力を強く残す現行の憲法を改正するには軍の理解と協力が必要なだけに対決姿勢をとることが難しいという事情
- 130もの民族からなる国民
このような状態では、現状の差別や迫害に対するロヒンギャの不満に、イスラム過激派組織がつけこんでくる懸念は多大です。
ロヒンギャの人たちの権利を取り戻せるよう国際的な支援が必要かと思います。
日本の館林では、迫害から逃れてきたロヒンギャの人が、現在200人以上暮らしているそうです。
宗教的な対立は根が深く難しいものですが、一刻も早い平和的な解決を望みます。